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伝統文化の修行は心の修養になるだろうか
先日、武術研究家の甲野善紀さんと、また長電話をした。

甲野さんはいま、メルマガの連載で、
弓術をかなり修行したはずなのに、
それが人間的な成熟になるどころか、
まったく逆になってしまった例を紹介なさっている。

武術をやっていて、技も心も傑出したひとはいるが、
そんなのはたぶん数1000人にひとりくらいで、
残りはぜんぶ、技も心も中途半端どころか、
キャリアや段位を鼻に掛けて、
横柄な人間になってしまう者も少なくない。

甲野さんいわく、
ひとりの傑物が生まれても、
それでたとえば数100人の横柄な人間ができるくらいなら、
武術の修行なんてしないほうがいいのでは。

キャリアや段位を鼻に掛ける人間は、
別に弓術や他の武術に限らず、
伝統文化全般について、
そういう例はぼくはいくつもみてきている。

精神修養ができているはずの禅の坊さんでも、
ずいぶんいばっているひとを、何人か知っている。

修行っていったい何なんだろう?

だけど、
心の修養になることは、
やっぱり何かしたほうがいい。

とくに学者なんて、修養ができていないひとばっかりなので、
正直いって、付き合って気持ちのいいひとの割合は低いと思う。

だけど、スポーツ指導系の学会で出会う、
オリンピックのメダリスト級のひとたちは、
厳しいトレーニングや試練を越えているから、
人間的にもすばらしいし、話していると、
自分の人間力のなさがわかって、恥ずかしくなってしまう。

日本の武術や芸事や禅でなくても、
西洋起源のスポーツでも、
じゅうぶん精神修養ができるのだ。

いや大事なのは心の修養を求める気持ちを持ちつづけることであって、
そういう気持ちさえあれば、わざわざ伝統文化などやらなくても、
草引きや掃除や、あるいは寝転がっているだけでも、
かなりのレベルまで心が練られるだろう。

そう、下手に伝統文化などに手を出さないほうがいいのかもしれない。

問題は、心の修養を求める気持ちを、持ちつづけるかどうか、
経験や地位や権力が高まっても、
初心が慢心に変わるのを、
どうやって防ぐかということなのだ。

テーマ : 日本文化
ジャンル : 学問・文化・芸術

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